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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代中期の俳人。武藤巴雀・白尼父子に師事し、暮雨巷一門を形成。蕉風復興を目指し、中興俳諧の中心的存在として活動した。

生涯

加藤暁台は1732年(享保17年)9月1日、名古屋に生まれた。尾張藩士岸上林右衛門の子として生まれたが、同じく尾張藩士の加藤仲右衛門の養子に出された。本姓は岸上であるが、養子になってからは加藤姓が本名である。久村という姓は、先祖出生の地である知多半島の地名からとって自称したものである。名は周挙、字は後一、通称は平兵衛、幼名は仲八である。初号は他朗、別号に買夜、暮雨巷、竜門がある。

17歳で尾張藩に出仕した。本人も尾張藩士であり、江戸の尾張藩邸において右筆部屋総帳方を務めていたが、俳諧を好み、28歳のときにこれを辞して致仕し、脱藩した。俳諧に専念するため、20年ほど各地に遊んだ。

明和年間に至って名古屋前津に竜門と称する庵を結んだ。桑名町に住み、俳諧にいそしんだ。この暮雨巷の名を冠した建造物が名古屋市瑞穂区陽明町地内に残るが、これは暁台が結んだ庵を大正年間に至って移築したものである。

1790年(寛政2年)、京都二条家に召されて俳諧宗匠の免状を受けた。1792年(寛政4年)1月20日に死去した。

俳句歴

俳諧は20歳のころ武藤巴雀の門に入り、巴雀没後はその子白尼について学んだ。武藤巴雀・白尼父子に師事した。

1763年(宝暦13年)に刊行した「蛙啼集」ではじめて暁台を名乗り、名古屋を中心に「暮雨巷」と称する一派を形成した。宝暦から明和にかけて暮雨巷一門を形成し、名古屋の中心俳人になった。多数の門下を養成した。

芭蕉を追慕し、特に「冬の日」を重んじた。蕉風復興を目指し、1772年(安永元年)に「秋の日」を出版した。これは蕉風復古運動の嚆矢として評価を得た。1774年(安永3年)から数年間、しばしば京都に上って蕪村と交わり、そのころの句はとくにすぐれたものが多い。安永頃には蕪村一派と交遊して中興俳諧の一中心となった。

1783年(天明3年)、幻住庵など3ヶ所で芭蕉百回忌取越追善俳諧を興行し、「風羅念仏」法会の巻を刊行した。天明3年に幻住庵と京都で芭蕉百回忌取越追善俳諧を主催した。

その他の特記事項

暁台は「去来抄」などを翻刻した。編著には「蛙啼集」(1763年)、「秋の日」(1772年)、「風羅念仏」(1782年)などがある。没後、桜田臥央編による「暁台句集」(1809年)が刊行された。

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参考にさせていただいたWebサイト様
久村暁台 -- Wikipedia 加藤暁台 -- コトバンク 加藤暁台 -- soutairoku.com

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別姓久村(くむら)
別号買夜 暮雨巷
生没1732 〜 1792
出身地愛知県名古屋市
出身地(旧地名)尾張名古屋

基準
向き
件数

現在、43句の俳句が登録されています。

    • 蜩 ひぐらし
      季節: 秋(初秋) 分類: 動物(昆虫等)
    • 虚子編 新歳時記 増訂版
      p.499
    • 柿紅葉 かきもみじ
      季節: 秋(晩秋) 分類: 植物(ツツジ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.165
    • 鏡餅 かがみもち
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(生活)
    • ハンディ版 入門歳時記 新版
      p.622