優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和期にかけて活躍した俳人。高浜虚子に師事し、俳誌「木犀」を主宰して福岡の俳句を盛んにした。

生涯と俳句歴

清原枴童(きよはら かいどう)は、明治15年(1882年)、福岡県に生まれた。高浜虚子の弟子として俳句を学び、虚子から「自由さをもった技巧」と称賛された。

昭和5年(1930年)、朝鮮半島に渡り、俳誌「木犀」を発行して主宰した。福岡の俳句を盛んにするために努力した人物として知られる。

枴童は九州の東河内(現在の北九州市)を訪れたことがあり、昭和16年(1941年)4月の句会で「心太山の緑にすすりけり」を作句した。当時の河内には山から引いた水で冷やした心太(ところてん)を売っている店が何軒かあり、店では心太の材料であるテングサを取ったり仕入れたりするために若松区の脇田、安屋、岩屋まで出かけていたという。

昭和23年(1948年)に没した。

昭和24年(1949年)5月、「木の実会」によって東河内の貯水池のほとりに枴童の句碑が建立された。昭和42年(1967年)に現在の場所(河内貯水池)に移されている。

その他の特記事項

枴童の代表句として、「心太山の緑にすすりけり」のほか、「土砂降りの夜の梁の燕かな」「風呂沸くやしんと日あたる松の花」「露の世に海女の焚く火のうつくしく」「春水に塵捨てゝ住む二三軒」「もとよりも淋しき命水中り」「とめどなく咳きつゝ瓶を洗ひをり」「肌脱ぎの肋も老いて傘を張る」「木の実落つ月光曳いてあまたゝび」「忘れられてしづかに紅き金魚かな」などが知られている。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
清原拐童 -- BLOG夜半亭 清原枴童とは -- コトバンク 清原枴童 -- 北九州市

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別名伊勢雄(いせお)
生没1882 〜 1948

現在、24句の俳句が登録されています。

    • 孕鹿 はらみじか
      季節: 春(三春) 分類: 動物(哺乳類)
    • 文藝春秋 最新俳句歳時記 春
      p.55
    • 小正月 こしょうがつ
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(行事)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.19