優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から大正時代にかけて活躍した俳人・小説家。正岡子規、高浜虚子に師事し、温厚な人柄と「温籍高雅」の作風で知られた。國民新聞社に勤めながら俳誌「土上」を創刊。

生涯

篠原温亭(しのはら おんてい)は明治5年(1872年)2月1日、熊本県宇土郡宇土町(現・宇土市)に生まれた。本名は英喜。別号に松濤、家巣などがある。父親は漢学塾を開いていた篠原直で、祖父は宇土細川藩藩校「温知館」の句読師として知られた学問の家柄であった。

明治22年(1889年)に家督を継ぎ、一里小路から門内へ転居した。京都本願寺文学寮(現・龍谷大学)に学んだ後、同郷の人見一太郎の紹介により上京し、徳富蘇峰が主宰する「國民新聞」に入社した。以来30余年にわたって國民新聞社員として活躍し、社会部長などを歴任した。後には同社勧業部でダリアやメロンの栽培・普及にも努めた。

温厚寡黙で、世に求めず人と争わない性格であった。謡曲を嗜み、書技に秀でていた。大正15年(1926年)9月2日、脳溢血により55歳で没した。墓所は東京都品川区西大井の「帰命山養玉院如来寺」にある。長女小枝子は柴田宵曲と結婚した。

俳句歴

温亭が俳句を始めたのは明治30年頃からで、「ホトトギス」同人となり、正岡子規、高浜虚子に師事した。「國民俳壇」の育成にもあたり、温厚な人柄で人望があった。大正11年(1922年)には嶋田青峰らと共に俳誌「土上」を創刊した。

俳句は「温籍高雅」の作風で、虚子編「新歳時記」には27句が採用されている。代表的な句に「一本の銀杏を廻り落葉掃く」「はせ栗の落つれば拾ふ住居哉」「新涼や水深くみて橋渡る」などがある。没後、嶋田青峰により「温亭句集」が編纂・刊行され、総句数の半数にあたる2,032句が収録された。

その他の特記事項

温亭は俳句だけでなく、小説や随筆も執筆した。著書として小説「不知火」「二年越」「昔の宿」、随筆「その後」、写生文「最初の写真」などがある。晩年には文集『その後』を出版している。

昭和60年(1985年)、東京都品川区西大井の如来寺参道に温亭句碑が建立された。また、調布市深大寺境内、熊本県宇土市の船場橋(眼鏡橋)端にも句碑が建てられており、地域の文学的遺産として親しまれている。

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参考にさせていただいたWebサイト様
篠原温亭 -- Wikipedia 篠原温亭 -- コトバンク 船場蔵屋敷にて熊本近代文学館出前講座開催! -- 宇土市

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名英喜
別号松濤 家巣
生没1872 〜 1926

現在、18句の俳句が登録されています。

    • 潮浴 しおあび
      季節: 夏(晩夏) 分類: 人事(娯楽)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.110
    • 橙 だいだい
      季節: 秋(晩秋) 分類: 植物(ムクロジ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.161
    • 末枯 うらがれ
      季節: 秋(晩秋) 分類: 植物(総称)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.205