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俳人の説明

管理人による説明

昭和から令和にかけて活躍した原子核物理学者・俳人。山口青邨に師事し、「天為」を創刊・主宰した。東京大学総長、文部大臣などの要職を歴任しながら俳句活動を続けた。

生涯

有馬朗人は1930年9月13日、大阪府住吉区に父・有馬丈二(俳号、石丈)、母・籌子の長男として生まれた。両親ともに俳人であり、母籌子は青木月斗が創刊した「同人」の主宰も務めた。1946年1月に父丈二が死去した。

幼少期から旧制中学卒業まで静岡県浜松市で育ち、1948年に静岡県立浜松第一中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)四年を修了、1950年に旧制武蔵高等学校を卒業した。1953年に東京大学理学部物理学科を卒業し、同年4月に東京大学理学部大学院に入学した。1958年に東京大学理学博士の学位を取得し、1956年から東京大学原子核研究所助手となった。

1959年にアメリカのアルゴンヌ国立研究所研究員を務め、1959年に東京大学理学部講師、1964年に助教授、1975年に教授となった。1967年にはラトガース大学客員教授、1971年にはニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授(1973年まで)を務めた。1981年には東京大学大型計算機センター長(1985年まで)、1985年4月には東京大学理学部長(1987年3月まで)を歴任した。

1989年、東京大学総長に就任し、1993年3月まで務めた。総長選では、もう一人の候補と同票数となり、くじ引きで当選した。総長として大学院重点化や産業界との連携等に取り組み、東京大学の発展に多大な尽力をした。1993年3月に退官後、1993年4月に法政大学教授となり、1993年10月には理化学研究所理事長(1998年5月まで)に就任した。

1995年には中央教育審議会会長(1998年まで)に就任し、完全学校週5日制を前提とした教育像を盛り込んだ答申をまとめるなどした。1998年、当時の総理だった橋本龍太郎に請われて第18回参議院選挙に自民党から出馬し、比例代表名簿1位に登載され当選した。自民党がこの選挙で大敗し、橋本が敗北の責任を取って退陣した後、後任の小渕恵三から小渕内閣の文部大臣に抜擢され、続く第1次改造内閣でも文部大臣に留任した上で科学技術庁長官も兼摂した(1999年10月に退任)。在任中は国立大学の法人化に道筋をつけたほか、授業内容を大幅に削減した学習指導要領を告示した。2004年の第20回参議院選挙には出馬せず、参議院議員1期・6年で政界から引退した。

2000年6月に財団法人日本科学技術振興財団会長、2004年7月に科学技術館館長に就任した。2006年には母校の武蔵学園(武蔵中学校・高等学校、武蔵大学)学園長に就任した。2020年12月6日、心不全により東京都世田谷区の自宅で死去した。90歳没。死没日をもって正三位に叙された。

俳句歴

有馬朗人は1945年より作句を開始した。1946年に「ホトトギス」に初入選した。1950年、東京大学に入学した年に「夏草」に入会し、山口青邨に師事した。また東大ホトトギス会にも入会した。1953年には「夏草」同人となった。高橋沐石らと「子午線」を創刊した。

1990年に「天為」を創刊し、主宰となった。東大俳句会の指導も行った。俳人協会顧問、全国俳誌協会顧問、国際俳句交流協会会長、東京都俳句連盟会長などを歴任した。2006年より2012年まで蛇笏賞選者を務めた。

第一句集『母国』(1972年)収録の初期の句は、モダニズムを超克する意識から日常の中に超現実的なイメージを探し求める傾向があった。海外滞在、出張の経験から第二句集『知命』(1982年)の頃に優れた海外詠を多く作るようになった。生活体験ばかりでなく神話や聖書、古代史を踏まえた作も多い。その後、第三句集『天為』(1987年)で伝統回帰の傾向を強めた。以降の句集に『耳順』(1993年)、『立志』(1998年)、『不稀』(2004年)、『分光』(2007年)、『鵬翼』(2009年)、『流轉』(2012年)、『黙示』(2017年)などがある。

1987年に『天為』で第27回俳人協会賞、2004年に『不稀』で第7回加藤郁乎賞、2007年に『分光』で第3回詩歌句大賞、2012年に『流轉』で第28回詩歌文学館賞、2018年に『黙示』で蛇笏賞および第59回毎日芸術賞を受賞した。2005年12月22日には東京大学本郷校舎構内の三四郎池畔に山口青邨句碑と並んで句碑が建立された。

妻の有馬ひろこも俳人であり、1929年に東京に生まれ、深川正一郎に学び、山口青邨に師事した。夫と共に「天為」を主宰している。

その他の特記事項

有馬朗人は原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。代表的なものに有馬・堀江理論(配位混合の理論)、相互作用するボゾン模型の提唱、クラスター模型への貢献などがある。日本学士院賞、ベンジャミン・フランクリンメダルなどを受賞した。2005年の世界物理年では日本物理学会が組織した同日本委員会の委員長を務めた。

中央教育審議会会長在籍時に独自の教育論を展開したが、官僚により別解釈に用いられた。提唱した教育論は、指導要領の増えすぎた科目を融合させること、例えば世界史と日本史を一元的に学ぶことや数学の言葉を英語で学ぶことにより知識の壁を取り払い、また科目の増加傾向を避け、応用力をつけさせることが重要というものであった。2004年の国立大学の法人化を主導したが、失敗だったと晩年回顧している。

俳句活動においては、俳句の国際交流や、ユネスコ無形文化遺産登録をめざす活動にも力を尽くした。山梨県南都留郡山中湖村が主宰する俳壇の選者を務めていた縁で「山中湖村民歌」の作詞を行った。2017年には名誉都民に選ばれた。

物理学関係の著書に『原子と原子核 量子力学の世界』(1982年)、『量子力学』(1994年)、『物理学は何をめざしているのか』(1995年)などがあり、俳句関係の著書に『俳句の考へ方』、『現代俳句の一飛跡』(2003年)などがある。また宇多喜代子、中原道夫、星野椿、三重県俳句協会と共編で「一句」シリーズ(『空の一句』『遊の一句』など)を角川書店から刊行した。

物理学者としての業績と俳人としての活動を両立させ、2010年には文化勲章を受章した。行政や政治などの、物理学と無縁のことをやり、物理学に専念しなかったことを後悔していると述べており、後悔の理由はノーベル賞をもらえていないことであるという。

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参考にさせていただいたWebサイト様
有馬朗人 -- Wikipedia 有馬朗人さん死去 90歳 原子核物理学者・元東大総長 -- 朝日新聞デジタル 有馬朗人先生の訃報に接して(総長談話) -- 東京大学

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
生没1930 〜 2020

基準
向き
件数

現在、25句の俳句が登録されています。

    • 豆飯 まめめし
      季節: 夏(初夏) 分類: 人事(飲食)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.69
    • 元朝 がんちょう
      季節: 新年(新年) 分類: 時候(時間)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.15
    • 講書始 こうしょはじめ
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(行事)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.69
    • 飾臼 かざりうす
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(生活)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.26
    • 傀儡師 かいらいし
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(労働)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 新年
      p.43