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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代中期の時宗の僧・俳人。松尾芭蕉を敬愛し、芭蕉顕彰事業に尽力した。芭蕉の著作を集成し、本格的な芭蕉伝を著した。

生涯

五升庵蝶夢(ごしょうあんちょうむ)は、享保17年(1732)、京都に生まれた。名は九蔵。号を洛東・五升庵・泊庵と称した。

京都法国寺(時宗)に入り、其阿に師事し、木端と称す。13歳で阿弥陀寺(京都市上京区)内の帰白院に転じ、後に住職となる。この頃からは俳諧を志し、早野巴人系の望月宋屋門下に入る。

宝暦9年(1757)、敦賀に赴いたのをきっかけとして、都市風の俳諧から地方風の俳諧に転じた。俳人で行脚僧の既白や加賀国出身の二柳・麦水などと交流し、蕉風俳諧の復興を志した。

明和3年(1766)、住職を辞して京都の岡崎に五升庵を結び、芭蕉顕彰事業に注力する。岡崎法勝寺町の庵では、諸九尼と隣同士に庵を結んでいた。庵のできた祝いにと、蝶夢は、俳人桐雨から芭蕉自筆短冊「はる立や新年ふるき米五升 ばせを」を贈られた。五升庵の名は、このことからである。

蝶夢の活動は、義仲寺の復興と護持、粟津文庫の創設、毎年忌日の「しぐれ会」の実施、全国的な地方行脚による芭蕉復興の地方拡大などであった。芭蕉の菩提寺である義仲寺が荒れ果てていたのを再建し、そこに翁堂を建てた。そして、ここで芭蕉の百回忌を盛大に行った。百回忌に先立って、四月の奉扇会(芭蕉の像が持っている如意を扇に代えてお参りする行事)にも、全国から俳人を呼び集めようと、蝶夢は何年も前から計画を練った。その甲斐あって、五百人もの俳人たちが集まることとなった。義仲寺はそれほど広くないので、一斉に集まることはできず、三日にわたりそれぞれのグループで前もって巻いておいた連句(歌仙)を霊前で読みあげるという形をとった。

蝶夢は、芭蕉が敬拝した西行を自らも尊敬して、東山の双林寺にある西行の供養塔には、何度もお参りしたということである。

寛政7年12月24日(1796年2月2日)、64歳で没した。墓所は京都市上京区阿弥陀寺にある他、竜が丘俳人墓地にも墓碑がある。阿弥陀寺には、芭蕉の「春立つや新年ふるき米五升」の句碑もある。

俳句歴

編著書の大半は芭蕉顕彰に関わるものであり、松尾芭蕉の遺作を研究刊行した『芭蕉翁発句集』『芭蕉翁文集』『芭蕉翁俳諧集』の三部作は、はじめて芭蕉の著作を集成したものである。『芭蕉翁絵詞伝』は本格的な芭蕉伝として有名である。絵も添えて書かれたことにより、人々の関心をより引くことになった。今日、私たちが抱く芭蕉のイメージは、蝶夢の『芭蕉翁絵詞伝』の中の芭蕉なのだと言っても過言ではない。

ほかにも自身の句集『草根発句集』『蝶夢和尚文庫』や紀行文などを残している。

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参考にさせていただいたWebサイト様
蝶夢 -- Wikipedia 五升庵蝶夢 -- コトバンク 五升庵蝶夢のこと -- 座禅ブログ

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別号泊庵
生没1732 〜 1796

現在、18句の俳句が登録されています。

    • 柳 やなぎ
      季節: 春(晩春) 分類: 植物(キントラノオ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 春
      p.172
    • 神迎 かみむかえ
      季節: 冬(初冬) 分類: 宗教(神道)
    • 虚子編 新歳時記 増訂版
      p.677