優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

江戸時代中期の俳人。松尾芭蕉を敬愛し、蕉風初期の虚栗調に傾倒した。貞享蕉風を唱導し、各務支考や中川乙由の俳風の卑俗性を批判して、俳諧中興運動において芭蕉への復帰を説いた。俳論書のほか実録本も残している。

生涯と俳句歴

堀麦水(ほり ばくすい)は、享保3年(1718年)、加賀国(現在の石川県金沢市)の蔵宿池田屋の次男として生まれた。名は長、字は子傾。通称は初め池田屋平三郎、後に長左衛門。初号は可遊もしくは葭由、別号に樗庵、四楽庵、五噫逸人、牛口山人等がある。

若い頃は上方にいたが、甥の後見のため、元文末頃に金沢に戻った。

俳諧は美濃派の百雀斎五々に師事し、のちに伊勢の中川乙由(麦浪)の俳風に移り、麦水と号した。延享元年(1744年)頃から全国を行脚している。宝暦12年から宝暦13年(1762年から1763年)頃に京都に上り、与謝蕪村と交流した。

明和6年(1770年)頃に『二十五ヶ條註解』を著し、宝井其角が編纂した『虚栗』に傾倒した松尾芭蕉の作風の俳諧を詠み、その復興運動にも携わった。この運動の中で、各務支考や乙由の俳風の卑俗性を批判し、『虚栗』の漢詩文調に倣うべきと主張した。漢詩文調のいわゆる貞享蕉風(芭蕉初期の作風)への復帰を説き、自論を『俳諧蒙求』『蕉門一夜口授』その他の俳論書、伝書に吐露し、『虚栗』調の作品を『新虚栗』(1777年)に集成した。しかし、安永4年(1775年)に『新みなし栗』を著した後、俳諧活動から離れた。

俳人としての著作だけでなく、実録本『越の白波』『三州奇談』『寛永南島変』も残している。また、麦水は将棋や茶道、骨董、書画等の多くの趣味を持っていたとされている。

天明3年10月14日(1783年11月8日)に死去した。66歳であった。

編著に「鶉立」「新みなし栗」「樗庵麦水句集」「俳諧蒙求」「蕉門一夜口授」「昔日北花録」「慶安太平記」「貞享正風句解伝書」「新虚栗」「慶長中外伝」「寛永南島変」などがある。句集に「樗庵麦水句集」がある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
郭公 堀 麦水(ほり・ばくすい) -- Ameba Blog 堀麦水 -- Wikipedia 堀麦水(ホリバクスイ)とは? 意味や使い方 -- コトバンク

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別号可遊 四楽庵 樗庵 五噫逸人 牛口山人
通称池田屋平三郎 長左衛門
生没1718 〜 1783

現在、11句の俳句が登録されています。

    • 五月晴 さつきばれ
      季節: 夏(仲夏) 分類: 天文(天空)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.49
    • 練供養 ねりくよう
      季節: 夏(初夏) 分類: 宗教(仏教)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.136