桜井梅室 (さくらい ばいしつ)
俳人の説明
管理人による説明
生涯
1769年(明和6年)11月27日、加賀国金沢の升形に生まれた。幼名は次郎作。父の桜井新九郎は雪館と号し、綿屋希因の門下に学んだ俳人であった。梅室は刀の研ぎを職として加賀藩に仕える研師であった。
1807年(文化4年)、家業を弟子に譲って京都に上り、1809年(文化6年)には妻子を呼び寄せて富小路通錦小路上ルに移り住んだ。1822年(文政5年)には守村抱儀に招かれて江戸に下り、翌年4月に到着して各地を巡った。1826年(文政9年)に剃髪している。その後も須磨・明石・淡路島・大坂・中国地方への旅や、『奥の細道』の行程をたどる旅、越中・金沢への帰郷、各地の温泉巡りなど、旅を重ねた。
1852年(嘉永5年)6月ごろから体調を崩して病床につき、同年10月1日(新暦11月12日)に死去した。京都の寺町通広小路上ルにある本禅寺に葬られ、法名は方円院梅室日窓居士。金沢の菩提寺である慶覚寺にも分骨された。
俳句歴
1786年(天明6年)、16歳で俳諧を志し、上田馬来に師事した。高桑闌更にも学んだとされるが、直接師事したことを示す資料はないという。1800年(寛政12年)、成田蒼虬の勧めにより秋槐庵3世和泉屋李下の後を継ぎ、翌1801年(享和元年)に処女撰集『さるのめん』を刊行して中央俳壇に登場した。この書名は、梅室が「猿面」と呼ばれていたことに由来する。
京都に移ってからは梅室の号を用い、1809年(文化6年)から撰集『四時行』を毎年刊行した。1841年(天保12年)から翌年にかけては牧岡天来と俳論を戦わせ、『梅林茶談』を刊行している。二条家から「花の本宗匠」の号を許されるなど京都で俳名を高め、成田蒼虬・田川鳳朗とともに天保の三大家に数えられた。また、のちに内海淡節を養子としている。
主な撰集・句集に『さるのめん』『白峯の春』『四時行』『梅室家集』『方円俳諧集』『梅林茶談』『増補方円句集』などがある。
その他の特記事項
梅室の句風は、のちに正岡子規によって「天保以降の月並調」と厳しく批判された。ただし子規は、その原因は後世の人々が梅室の句を真似て使い古したことにあるとも述べており、梅室を全面的に否定したわけではなかった。
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バイオ
現在、8句の俳句が登録されています。
- みなそこの くさもはなさく うづきかな
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卯月
うづき
季節: 夏(初夏) 分類: 時候(暦) -
虚子編 新歳時記 増訂版p.252
- かたびらに まばゆくなりぬ ひろこうじ
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帷子
かたびら
季節: 夏(晩夏) 分類: 人事(衣服) -
角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏p.62
- ねをいれた うぐいすもあり どうぐてん
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鶯音を入る
うぐいすねをいる
季節: 夏(晩夏) 分類: 動物(鳥類) -
平凡社 俳句歳時記 夏p.427
- しごりんに かげひなたある ぼたんかな
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牡丹
ぼたん
季節: 夏(初夏) 分類: 植物(ユキノシタ目) -
虚子編 新歳時記 増訂版p.252
- はっさくに しょうがつするや てらおとこ
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八朔
はっさく
季節: 秋(仲秋) 分類: 時候(暦) -
新版 角川俳句大歳時記 秋p.42
- すてぶねに あめたまりけり かんなづき
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神無月
かんなづき
季節: 冬(初冬) 分類: 時候(暦) -
新版 角川俳句大歳時記 冬p.28
- みずはゆき つきはおつるに あじろもり
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網代
あじろ
季節: 冬(三冬) 分類: 人事(生活) -
新版 角川俳句大歳時記 冬p.389
- かえりばな やみにもみえて あわれなり
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帰り花
かえりばな
季節: 冬(初冬) 分類: 植物(バラ目) -
虚子編 新歳時記 増訂版p.666