優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和初期にかけて活躍した俳人・実業家・政治家。正岡子規の賛助を得て俳誌「俳星」を創刊し、日本派俳句の東北における拠点を築いた。印刷、新聞、書店、図書館など先進メディア事業を手がけ、能代の文化と発展に尽くした。

生涯

島田五空(しまだ ごくう)は、明治8年(1875年)4月1日、現在の能代市畠町に父豊三郎、母キヱの次男として生まれた。幼名は島田長治郎といい、この島田家は名士の家系であったが父と兄の死により幼くして島田豊三郎の名を継いだ。生家は米屋だった。

渟城小学校高等科に学ぶかたわら嘉藤田顕資らについて漢学を修めた。小学校卒業の頃にはすでに日本外史、十八史略、三国志、水滸伝などを次々読破するなど大変読書熱心な子供であり、才気煥発、敏捷にとびまわる利巧者ぶりが孫悟空のようだと称されたことが後の雅号の由来となった。学校卒業後、本家の島田治右衛門方に奉公し、商売の勉強をした。生来の勉強好きで寸暇を惜しんで読書に励み、和歌、俳句、漢詩などを手がけた。

明治27年(1894年)、19歳で秋田県初となる活版印刷(現在の能代印刷)と、私立能代図書館を創立し、館長になった。図書館は治右衛門家の蔵書を中心に一万数千冊で設立された。翌年には「能代商報」(現在の北羽新報)を創業した。その後も書籍販売店(現在の一長堂)、職工組合などを創立するなどさまざまな形で地域の文化活動に深く貢献した。

また同市に転居してきた有力実業家である井坂直幹とも交流をもち、ともに能代実業協会を発足させた。明治36年(1903年)、郡議、翌明治37年(1904年)には町議に当選し、政界に進出して県議会議員、町議会議員としても活動し、五能線の開通、秋田県立能代中学校の開設にも携わった。大正10年(1921年)の衆院補選では国政への参加も志したが、三浦権兵衛に敗れて果たさなかった。また、大正8年(1919年)、能代製板職工組合の創立の折には推されて初代組合長になった。

晩年前には政界を引退し能代市住吉に建てられた十方庵で過ごしながら国内各地を吟遊した。胃の病により衰弱し昭和3年(1928年)12月26日に息を引き取った。墓所は本澄寺。法名は研真院五空日徹居士。

俳句歴

文学面では能代市の歌人が集まっていた「渟風会」で「渟風会雑誌」を発行した。その後句会を通じて知り合った佐々木北涯らと北斗吟社を創設した。明治30年(1897年)頃、石井露月に師事し、高浜虚子とも親交を持ち称賛を受けた。佐藤紅緑の知遇も得た。

明治32年(1899年)に俳誌「北斗」、翌明治33年(1900年)にはこれを引き継いだ俳誌「俳星」を創刊した。「俳星」は正岡子規の命名である。正岡子規の「ホトトギス」創刊と同じ年に「北斗」を発行した。「俳星」は日本派俳句の東北での拠点ともいえる存在となり、現在に引き継がれている。この刊行後は県内各郡で俳句大会を開くなど県内の俳句界隈の盛り上がりを後押しした。

これらの活動とあわせて五空は俳誌ホトトギスに投句をしてきたが、子規編の「春夏秋冬」に多くの句が掲載されたことでさらに全国的にも知名度が高まった。これらの句は昭和4年発行の改造社版「現代日本文学全集」にも30句が収録されている。

このほか10代の頃設立した図書館の縁もあり山本郡の図書館館長もつとめた。代表作には句集「裘(かわごろも)」、文集に「有用無用」がある。弟子には安成二郎がいる。

雅号は初め香車、のち唐空。これは子規から「孫悟空」と揶揄されたため吾空と変え、以後呉空、五工とつづき大正13年(1924年)4月号の「雲雌」から五空となり最後まで用いた。別号に北斗、山頭火、十方庵、鷹祭書屋がある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
島田五空 -- Wikipedia 五空百句プロジェクト -- 能代市立能代図書館 島田五空 -- 奈良亀書店

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名島田豊三郎
幼名長冶郎
別号香車 悟空 五工 山頭火(種田山頭火とは別人)
生没1875 〜 1928

現在、14句の俳句が登録されています。

    • 楓 かえで
      季節: 秋(晩秋) 分類: 植物(ムクロジ目)
    • 文藝春秋 最新俳句歳時記 秋
      p.290
    • 帳綴 ちょうとじ
      季節: 新年(新年) 分類: 人事(労働)
    • 文藝春秋 最新俳句歳時記 新年
      p.52