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俳人の説明

管理人による説明

大野林火に師事し、戦後「濱」の主宰を継承した元俳人協会会長。

生涯

松崎鉄之介は1918年12月10日、神奈川県横浜市に生まれた。本名は敏雄。横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)を卒業し、生粋の「ハマっ子」として生涯を通じて横浜との縁を大切にした。在学中から俳句を志し、はじめ「馬酔木」に投句していたが、1939年、加藤楸邨のすすめにより大野林火に師事し、「石楠」に入会した。1942年には戦地詠により石楠賞を受賞している。出征後、1947年にシベリアから復員すると、大野林火が主宰する「濱」に同人として加わった。

1949年に東京国税局に入局し、1970年に退職したのちは銀座で税理士事務所を営みながら句作を続けた。1971年の俳人協会設立に参加して理事を務め、俳句文学館の建設にも尽力した。1982年、師である大野林火の死去にともない「濱」の主宰を継承し、同年刊行の句集『信篤き国』により第22回俳人協会賞を受賞、同年俳人協会会長にも就任した。1993年からは9年間、社団法人俳人協会の会長を務め、のちに顧問となった。2003年には句集『長江』で第18回詩歌文学館賞を受賞している。

晩年、「濱」が終刊したのちも、横浜本牧に所有していた土地を売却してその費用にあてるなど、師から受け継いだ結社を最後まで支え続けた。2014年8月22日、気管支喘息のため95歳で死去した。

俳句歴

松崎が師事した大野林火は、高浜虚子門でも水原秋桜子門でもなく、大須賀乙字・臼田亜浪の流れを汲む師系であった。松崎はその林火のもとで、野沢節子・村越化石・大串章らとともに薫陶を受けた一人である。生前、師である大野林火の名を俳壇に広めるためにあらゆる努力を払ったと語っており、師弟の情の深さがうかがえる。

句風は人柄を反映した朴訥なもので、古代中国への関心が強く、幾度も中国を訪れた。代表句「ただ灼けて玄奘の道つづきけり」は、経典を求めて灼熱の砂漠を渡った三蔵法師(玄奘)の姿に理想を重ねた句として知られ、この句によって俳壇にその名を広く知られるようになった。句集に『鉄線』『信篤き国』『歩行者』『玄奘の道』『中国六十年』『長江』『黄河』『東籬の菊』『花楷樹』『巴山夜雨』などがあり、いずれも中国への関心や「濱」の句風を反映している。編纂書に『現代俳句の世界12 高浜年尾・大野林火集』(稲畑汀子共選)、『大野林火全集』(全8巻)がある。

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参考にさせていただいたWebサイト様
松崎鉄之介先生死去 -- 林誠司 俳句オデッセイ(ameblo) 松崎鉄之介 -- フリー百科事典『ウィキペディア』 松崎鉄之介 略歴(詩歌文学館賞受賞者) -- 日本現代詩歌文学館

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名敏雄
生没1918 〜 2014

現在、13句の俳句が登録されています。

    • 鈴蘭 すずらん
      季節: 夏(初夏) 分類: 植物(キジカクシ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 夏
      p.250
    • 楊梅 やまもも
      季節: 夏(仲夏) 分類: 植物(ブナ目)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 春
      p.202