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俳人の説明

管理人による説明

明治期に活躍した俳人・歌人。正岡子規に師事し早期に才能を認められたが、子規没後は俳壇・歌壇から身を退いた。のち衆議院議員などを務めた。

生涯と俳句歴

赤木格堂は、明治12年(1879)7月27日、岡山県児島郡小串村(現在の岡山市南区)で生まれた。本名は亀一。父の影響で俳句には親しんでいた。

東京専門学校(現在の早稲田大学)入学のため上京し、すぐに正岡子規を訪ね門下生となった。明治31年頃から子規選の『日本』俳句欄で力量を発揮し、子規に俳句を師事して『日本附録週報』の代選を任せられた。当時の合同句集「春夏秋冬」有数の作家と目された。また根岸短歌会にも出席して子規の写生歌風に随従した。

明治35年(1902)に東京専門学校を卒業した後は、『九州日報』の主筆を務めた。同年、子規没後は俳壇、歌壇からいさぎよく身を退いた。

その後、フランスに3年間留学し、植民政策学を専攻した。さらに雑誌『青年日本』を経営し、『国民新聞』『大阪朝日新聞』に寄稿した。大正6年(1917)に衆議院議員となり、その後小串の村長も務めた。昭和23年(1948)12月1日、69歳で没した。

その他の特記事項

赤木格堂は、幕末の万葉調歌人・平賀元義を正岡子規に紹介し、明治34年(1901)『新聞日本』で子規が「万葉の真価を認めて万葉調の歌を残したるもの、実に備前の平賀元義ひとりのみ」と絶賛したことにより、平賀元義が全国に名を馳せるきっかけを作った。

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参考にさせていただいたWebサイト様
赤木格堂 -- 吉備路文学館 赤木格堂 -- Wikipedia 赤木格堂・平賀元義の碑 -- 吉備の中山を守る会

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名亀一
生没1879 〜 1948

現在、7句の俳句が登録されています。