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俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人・実業家。高浜虚子に師事し、運送業界の先駆者として藍綬褒章を受章する一方、「ホトトギス」に拠って句を詠み続けた。

生涯

京極杜藻(きょうごく とそう)は、明治27年(1894年)4月1日、鳥取県米子市尾高町に生まれた。旧姓は桶谷、本名は友助である。家業は食料品商で、桶谷庄蔵の次男として育った。

大正2年(1913年)3月に米子中学(現在の鳥取県立米子東高等学校)を卒業し、東京高等商業学校(現在の一橋大学)に進学した。大正6年(1917年)3月に東京高商を卒業すると、久原鉱業に入社した。しかし、同級生であり俳句仲間でもあった京極山琅子が急死したため、翌年久原鉱業を退社し、山琅子の京極家を継ぐこととなった。京極家は旧旗本の出で、家業は労務請負運送業であった。

大正9年(1920年)、杜藻は運送業に初めてトラックを導入し、業界の近代化に貢献した。昭和16年(1941年)には京極運送株式会社を設立して社長に就任、昭和19年(1944年)には京橋運送株式会社を設立した。戦後も事業を拡大し、昭和26年(1951年)に東京港運事業協同組合を結成して理事長となり、昭和29年(1954年)には東京トラック協会会長、日本トラック協会副会長に就任した。昭和34年(1959年)には晴海荷役株式会社を設立して取締役会長となり、昭和36年(1961年)には京浜麦酒運輸株式会社、鋼管ドラム株式会社を設立して社長に就任した。昭和39年(1964年)に社名を京極運輸商事株式会社と改めた。

昭和35年(1960年)に運輸大臣表彰を受け、昭和36年(1961年)には藍綬褒章を受章するなど、運送業界への貢献が高く評価された。昭和60年(1985年)11月7日、91歳で没した。

俳句歴

杜藻の俳句との出会いは、東京高等商業学校在学中であった。大正3年(1914年)、同級の京極山琅子らとともに学内に俳句会「南琴吟社」を創立し、「喝鞭」と号した。同年、「ホトトギス」に投句を始め、初めて雑詠に二句が入選している。

大正4年(1915年)2月、初めて「ホトトギス」句会に出席し、高浜虚子と出会った。以後、虚子に師事して俳句の道を歩むこととなる。大正12年(1923年)には俳号を「喝鞭」から「杜藻」に改めた。

実業家として多忙な日々を送りながらも句作を続け、昭和10年(1935年)に第一句集『艸冠』を発刊した。昭和17年(1942年)には文学報国会俳句部会の役員を務めた。昭和30年(1955年)には第二句集『門』を発刊している。

その他の特記事項

杜藻の妻・美喜は東京の徳岡祐三郎の長女である。長女の都子は日本舞踊家となり、西川鯉也の芸名で活動した。

杜藻は、東京高商時代に創立した俳句会「南琴吟社」で知り合った京極山琅子の急死により、その家を継ぐという運命的な経緯で京極姓を名乗ることとなった。運送業界の近代化に貢献した実業家としての顔と、「ホトトギス」に拠る俳人としての顔を持ち、91年の生涯を通じて両立させた人物である。

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参考にさせていただいたWebサイト様
京極杜藻 -- Wikipedia 行事・暦の俳句 11月(季節を味わう#0085) -- note(池田 千波留)

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名友助
別姓桶谷
生没1894 〜 1985
出身地鳥取県米子市尾高町

現在、5句の俳句が登録されています。