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俳人の説明

管理人による説明

昭和から平成にかけて活躍した俳人。精神科医のかたわら俳誌「魚座」を創刊主宰し、「呟けば俳句」の作風で知られた。

生涯

1928年(昭和3年)3月27日、千葉県船橋町(現・船橋市)に生まれる。本名は今井昭正。旧制中学時代、一級上の大原テルカズと出会い、俳句に誘われた。12歳の頃から句作を始めた。精神科医として勤務医を務めたのち、貨物船の船医に転身し、乗船していた「ホトトギス」の俳人だった船長や機関長らと船上句会を行ったことが、本格的な俳句活動のきっかけとなった。その後医院を開業し、「馬酔木」同人の指導を受けた。2012年6月27日、肺炎のため死去した。享年84。

俳句歴

1969年(昭和44年)、田中午次郎の勧めで俳誌「鶴」に入会し、石塚友二に師事した。1982年(昭和57年)、鶴賞を受賞した。1995年(平成7年)に「鶴」を退会し、1997年(平成9年)、俳誌「魚座」を創刊して主宰となった。2000年(平成12年)、句集『海鳴り星』により第40回俳人協会賞を受賞した。2006年(平成18年)、「魚座」を終刊した。句集に『麦稈帽子』(1986年)、『通草葛』(1992年)、『海鳴り星』(2000年)、『海の岬』(2005年)、『風の吹くころ』(2009年)、『今井杏太郎全句集』がある。

「呟けば俳句」を標榜し、最小限の内容をゆるやかな時間の流れの中にとらえる独特の作風を確立した。平易な言葉を用いる一方で、縁語・類語・同義語を同一句内で用いたり、文語の中に口語を混ぜたりするなど、俳句のセオリーとしては禁じ手とされる手法もとらわれず用いる融通無碍な句風で知られた。風や水をモチーフとすることが多く、しばしば作者自身を思わせる「老人」が詠まれ、作品の根底にある「さびしさ」の感覚もしばしば指摘される。難解な言葉を用いずにさらりと詩情の深い句を作る作風は「呟き」戦法とも呼ばれ、晩年には大きな注目を集めた。

その他の特記事項

「魚座」有志による千葉県犬吠埼への吟行句会では、参加者に対し、上五を「来てみれば」「さっきから」「きのふから」と段階的に推敲させることで一句に時間の厚みを持たせるという指導法を実演し、その巧みな添削ぶりが伝えられている。

claude sonnet 5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
今井杏太郎氏の俳句伝授 -- 林誠司 俳句オデッセイ 今井杏太郎 -- Wikipedia 第二百七十六夜 今井杏太郎の「棉の花」の句 -- Miho Haiku Note

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名昭正(あきまさ)
生没1928 〜 2012

現在、11句の俳句が登録されています。