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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代後期の仙台出身の俳人・医師。加舎白雄門で白雄八弟の一人。白雄没後に江戸へ出て一大勢力を築き、江戸の三大家と称された。

生涯

鈴木道彦(すずきみちひこ)は、1757年(宝暦7年)に陸奥国仙台で生まれた、江戸時代後期の俳人である。名は由之。金令、金令舎、十時庵、藤垣庵、秋香庵などの号を持つ。「金令」は「鈴」の字を二つに分けたものである。

医師の家に生まれ、自身も医師となった。師の加舎白雄が没した後に江戸へ出て、医業を営んだ。1819年(文政2年)9月6日に江戸で没した。没後、金令舎は妻の応々尼が守った。応々尼も俳諧をたしなんだ。

俳句歴

若くして俳諧を学んだ。1773年(安永2年)、奥羽を行脚していた加舎白雄の門人となった。なおWikipediaでは、白雄の東北行脚を1772年からとしている。白雄からは文通によって指導を受けたとされ、句が初めて見えるのは白雄の『春秋稿』(1784年)である。長翠、巣兆、保吉、碩布、春鴻、葛三、虎杖とともに「白雄八弟」の一人に数えられる。

1788年(天明8年)4月、白雄が海晏寺で行った芭蕉百回忌の繰り上げ法要には、白雄門下の主だった俳人とともに参加した。1791年(寛政3年)に白雄が没すると江戸に上り、白雄の三回忌集『冬瓜汁』に跋文を書いた。1794年(寛政6年)には建部巣兆らを伴って江戸を発ち、毛呂の碩布を訪ねている。

白雄の没後、春秋庵は常世田長翠が継いだが、長翠は道彦に不満を抱き、春秋庵を倉田葛三に譲った。高弟の建部巣兆は脱俗的な人物であったため、道彦が白雄門の中心となった。才気にあふれ政治的な才能にも優れていた道彦は、江戸俳壇で一大勢力を築いた。

編著に『無孔笛』(1798年)、『蔦本集』(1813年)、『鳶眼集』『鶴芝』などがある。

その他の特記事項

道彦は夏目成美、建部巣兆とともに文化文政期の江戸俳壇の三大家と称された。一方、Wikipediaでは、夏目成美、井上士朗と並んで「寛政三大家」と称されたとしている。連句の名人で、俳文にも優れていたとされる。

『無孔笛』で与謝蕪村ら天明期の代表的な俳人を批判したことで知られる。その作風については、洞察力や感性に優れるという評価がある一方、ブリタニカ国際大百科事典では平板で浅俗と評されている。

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参考にさせていただいたWebサイト様
鈴木道彦 (俳人) -- Wikipedia 鈴木道彦(すずきみちひこ)とは? 意味や使い方 -- コトバンク 俳人 鈴木道彦 -- urawa0328

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名由之
別号金令 金令舎 十時庵 藤垣庵 秋香庵
生没1757 〜 1819
出身地(旧地名)陸奥国仙台
没地(旧国名)江戸

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