優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した俳人・薬学者。大須賀乙字に師事し、昭和21年に「早蕨」を創刊・主宰。名古屋市立大学薬学部長などを歴任した。

生涯と俳句歴

内藤吐天(ないとう とてん)は、1900年2月5日に岐阜県大垣市に生まれた。本名は多喜夫。別名に龍膽寺旻、別号に萱雨亭(けんうてい)がある。1924年に東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、ただちに医学部助手となった。その後、東京薬学専門学校教授、名古屋薬学専門学校長を歴任し、1944年に薬学博士の学位を取得した。1949年には名古屋薬科大学長事務取扱となり、翌1950年からは教授兼薬学部長として薬学教育と研究に尽力した。名古屋市立大学退官後は名城大学に奉職し、評議員や学部長を歴任して私学教育の振興に貢献した。

俳句は岡山六高時代から志田素琴(しだ そきん)と大須賀乙字に学び始めた。「獺祭」「草上」「東炎」などの俳誌に関わり、1946年に俳誌「早蕨」を創刊して主宰となった。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」などの格調高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風へと変化していった。句集には『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』などがある。代表句には「鰯雲天に愛語を聴くごとし」があり、この句は仏教用語の「愛語」を用いて、大空をゆく鰯雲の一つ一つが優しく語りかけてくるような情景を詠んだものである。

その他の特記事項

日本薬学会においても重要な役割を果たし、1956年以来評議員と理事を務め、1962年には副会頭に就任した。1964年には薬学の進歩発展と学会運営への功績が認められ、有功会員に推挙された。

文学活動としては、詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説や詩集の翻訳も手がけた。趣味としてはテニス、軟式野球、狩猟を楽しみ、晩年まで犬を飼って自身で世話をしていた。1976年5月12日未明に逝去し、76歳の生涯を閉じた。墓所は雑司ヶ谷霊園にある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
内藤吐天 -- Wikipedia 第六百三十八夜 内藤吐天の「鰯雲」の句 -- opera-noel.net 有功会員内藤多喜夫先生を悼む -- J-STAGE(日本薬学会誌ファルマシア)

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名多喜夫
別名龍膽寺旻
別号萱雨亭(けんうてい)
生没1900 〜 1976

現在、13句の俳句が登録されています。

    • 蜥蜴 とかげ
      季節: 夏(三夏) 分類: 動物(爬虫類)
    • 角川ソフィア文庫 第4版増補 俳句歳時記 夏
      p.138
    • 朝寒 あささむ
      季節: 秋(晩秋) 分類: 時候(感覚)
    • 角川ソフィア文庫 第5版増補 俳句歳時記 秋
      p.30