前田普羅 (まえだ ふら)
俳人の説明
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生涯
前田普羅は1884年(明治17年)4月18日に東京に生まれた。生い立ちの詳細は不明で、生年は1886年の異説があり、生地も横浜としている文献がある。本名は忠吉である。別号に清浄観子。両親が台湾に渡り、母の没後は父の再婚等の事情で伯父の家に育った。
早稲田大学英文科に入学したが中退した。横浜裁判所勤務、時事新報社を経て報知新聞社横浜支局の記者となった。1910年に結婚した。
1923年(大正12年)、関東大震災によって家財一切を失う不幸に見舞われた。翌1924年(大正13年)、富山県に転居し、報知新聞社富山支局の支局長となった。普羅は赴任の相談がわずか五分間で済み、翌日横浜を発って富山に来たと述べている。その時、眼底に去来したものは、荒涼たる能登の国であり、雪をかずいた立山であり、また黒部峡谷であり、さらには鉄道も通っていない飛騨の国であったという。
富山に着いた翌朝、普羅は郊外の田圃の畦に立って四方を眺め、山河の美しさに我を忘れた。南方には飛騨境の山々、東南には立山連峰が行く春の斑雪をつけて城壁のように並んでいた。脚下より続く田にはレンゲの花が紅く咲いていた。「終に立山の下に来た」と涙が止めどなく流れたという。ここで立山連峰をはじめとする雄大な自然に感銘を受け、以来立山や黒部の山岳をしばしば渡り歩き、また能登や佐渡、飛騨へも足を延ばし句を作った。
1929年(昭和4年)、報知新聞社内の異動を機に社を辞して富山永住を決意し、俳句に専念した。その理由を普羅は、人生観、自然観の大なる変化であると述べている。普羅は富山や能登、飛騨をはじめ各地の自然や風土を愛し、それぞれの地形や風土の特色をいかした「地貌」論を展開した。
晩年は戦争の被害を受けた。1945年(昭和20年)8月1日の富山大空襲にて普羅庵を焼失し、津沢町(現在の小矢部市)に疎開した。翌1946年(昭和21年)の津沢大火でも焼け出されてしまった。これより以降、すでに夫人を亡くしていた普羅は各所を転々とし、奈良、京都、千葉、川崎など各地を転々とした。この間に再婚と離婚をした。1950年(昭和25年)に東京に戻り、1951年(昭和26年)に東京郊外矢口に居を移した。1952年(昭和27年)、持病の腎臓病が悪化し、高血圧症を併発した。1954年(昭和29年)8月8日、立秋の日に、脳溢血のため東京都大田区矢口町の自宅で死去した。戒名は普羅窓峯越日堂居士である。
俳句歴
普羅は1912年(大正元年)、裁判所時代の知人杉本禾人の勧めで「ホトトギス」に投句した。1914年(大正3年)に主宰高浜虚子より、原石鼎とともに新鋭として称揚を受けた。「ホトトギス」誌に「大正二年の俳句界に二の新人を得たり、曰く普羅、曰く石鼎」と推賞されたのである。同年「ホトトギス」課題選者となった。のちに石鼎、飯田蛇笏、村上鬼城らとともに大正初期の「ホトトギス」代表作家として評価されるに至った。原石鼎、村上鬼城、飯田蛇笏らとともに虚子門下四天王と称された。
1922年(大正11年)、「加比丹」を創刊したが7号で廃刊となった。1926年(大正15年)、池内たけしに代わり「辛夷」選者に就任した。1929年(昭和4年)、同主宰となり、「辛夷」の編集発行を担当し、経営の責を負った。同年、報知新聞を退社した。
普羅は1945年(昭和20年)に疎開してきた棟方志功と親交を結んだ。1948年(昭和23年)には棟方志功が普羅の俳句を刻した板画句集「栖霞品」を発表した。
その他の特記事項
普羅は雄大な自然を詠むことを得意とし、山岳俳句の第一人者として知られた。もともとは都会人であり若いころは江戸文芸に興味を持っていたが、家財を失って富山に移ってより、その陰鬱な風景や雄大な自然から影響を受け、作風にも人生観にも変化を及ぼした。
山本健吉は句柄の高さにおいて普羅を蛇笏と並ぶ作家と評価しており、「普羅の句には蛇笏の句のように醇厚さはなく、取材も狭く、句柄も痩せているが、その勁く鋭い響きは独特のものであり、その情熱の高さにおいて相拮抗している」と評している。
普羅は自己の俳句理念を「わが俳句は、俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず」と述べている。大正元年頃の考えが今日なお心の大部分を占める考えであり、これは俳句をいやしめた意味ではなく、俳句を尊貴なる手段となしたに過ぎないとしている。また「都会人は大自然より都会に隠遁せる人」と思えるに、自分を目して「越中に隠遁せり」と云う都会人がいたが、終に首肯し能わざる所であったと述べている。
句集には「普羅句集」(1930年)、「能登青し」、「春寒浅間山」(1943年)、「飛騨紬」(1947年)、「能登蒼し」(1950年)、「定本普羅句集」(1972年)などがある。著書に「普羅のことばと俳句」(1962年)、「渓谷を出づる人の言葉」(1994年)などがある。
富山駅南の松川のほとり、富山城址公園内に1963年(昭和38年)に建立された普羅の文学碑がある。右側の銅板レリーフは棟方志功の手で、普羅の作句精神である「わが俳句は俳句のためにあらず 更に髙く深きものへの階段に過ぎず 普羅」が刻まれている。左側には普羅の直筆句が刻まれている。普羅が没した8月8日は、二十四節気の「立秋」になることもあり、「立秋忌」とも呼ばれる。
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寒雀
かんすずめ
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寒椿
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礼者
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学校始
がっこうはじめ
季節: 新年(新年) 分類: 人事(行事) -
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