寺村百池 (てらむら ひゃくち)
俳人の説明
管理人による説明
生涯と俳句歴
寺村百池(てらむら ひゃくち)は、寛延元年(1748年)に生まれた。京都の糸物問屋「堺屋」を家業とした。名は雅晁、字は子文、通称は助右衛門。別号に大来堂がある。
百池は与謝蕪村に入門し、俳諧の弟子となった。同時に蕪村の経済的後援者(パトロン)でもあり、蕪村を支え続けた。俳句のみならず、絵を円山応挙に、茶道を6代藪内紹智に学ぶなど、文化的素養を深めた。
蕪村を後援し、その関係資料などを後世に残した功績は大きい。百池の家には、蕪村から与えられた絵画類と書跡類が伝来した。これらは、沈南蘋の画風の影響を受けた宝暦年間の「寒林野馬図」から最晩年の天明年間の作品に至るまで、蕪村の後半生の各時期にわたるもので、画題・技法についても山水画から人物画、俳画に及ぶ、蕪村の画業を多角的に示す優れた作品群である。また書跡類は、国文学研究上重要な句稿断簡、俳文の真跡、そして蕪村の人柄や生活を伝える多数の書状を含む。
天保6年(1835年)12月17日に死去した。享年88歳。
その他の特記事項
百池の家に伝来した与謝蕪村の絵画、短冊、書状等の遺品一括は、「与謝蕪村関係資料(寺村家伝来)」として重要文化財に指定されている(昭和62年〈1987年〉指定、文化庁保管)。このような蕪村の関係遺品がまとまって伝存している例は他になく、一括して保存すべき貴重な資料とされている。
句集に『巴調集』がある。代表句として「鶯の影も口明く日南哉」が知られる。
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バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- はつぞらや ふねなきうみに ひのいでる
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初空
はつぞら
季節: 新年(新年) 分類: 天文(天空) -
虚子編 新歳時記 増訂版p.6