田中冬二 (たなか ふゆじ)
俳人の説明
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生涯
1894年(明治27年)10月13日、福島県福島市栄町に生まれた。本名は吉之助。父・吉次郎は安田銀行員、母・やゑは富山の出身で、安田銀行創業者・安田善次郎の縁戚にあたる家柄であった。父方の祖父・田中長七は富山県黒部市生地(いくじ)で雑貨商を営んでおり、生地は冬二にとって「心のふるさと」となった。
1901年(明治34年)に父が秋田赴任中に急死し、1906年(明治39年)には母も亡くなった。12歳で両親と死別した冬二は、東京の叔父・安田善助のもとに引き取られ、弟妹とも離れて暮らすことになった。両国小学校・東華尋常小学校を経て、1908年(明治41年)に立教中学へ入学。この頃から文学に親しみ、友人と回覧雑誌を作った。
1913年(大正2年)に中学を卒業し、第三銀行(安田銀行、現・みずほ銀行)へ就職。1925年(大正14年)に結婚。1939年(昭和14年)には長野支店長として長野市妻科へ転勤し、信州の自然を愛して多くの詩作を行った。上諏訪支店長時代を含め「最も快適な時代」と語っている。
1946年(昭和21年)、転勤に伴い安田銀行立川支店長として上京し、東京都日野市豊田(旧・南多摩郡日野町豊田)に居を構えた。1949年(昭和24年)に銀行を定年退職し、新太陽社の専務取締役となる。退職後も日野市に住み続け、1973年発行の日野市制施行10周年記念誌『私たちのまち日野』に詩「日野」を寄稿し、日野第二中学校の校歌の作詞も手がけた。1971年、日本現代詩人会会長に就任し、紫綬褒章を受章。1980年(昭和55年)4月9日、85歳で死去した。
俳句歴
田中冬二は詩作を主軸としながらも、俳句・散文も手がけた。1912年(明治45年)に投稿文芸雑誌『文章世界』へ投稿した短文が特選(田山花袋選)となり、この時はじめて「田中冬二」のペンネームを使用した。就職後も投稿活動を続け、1922年(大正11年)に詩誌『詩聖』へ投稿した作品が評価を受けた。
詩集は1929年(昭和4年)の第一詩集『青い夜道』をはじめ、『海の見える石段』(1930年)、『山鴫』(1935年)、『花冷え』(1936年)、『故園の歌』(1940年)など多数を刊行。俳句集としては『行人』(1946年)、『麦ほこり』(1964年)を刊行している。随筆集・散文集なども含め、1984年から1985年にかけて『田中冬二全集』全3巻(筑摩書房)が刊行された。
専ら旅を題材とし、山国や北国の自然・日常生活を初々しい感覚で表現した叙情詩を作り続けた。多作ではなく「マイナーポエット」とも評されたが、一貫して日本の自然や生活に根ざした詩を作り続けた。吉行淳之介は象徴的に「青い夜道の詩人」と評している。堀口大學らと交友関係があった。
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バイオ
現在、2句の俳句が登録されています。
- つゆのよや みごもるひとの つるおれる
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梅雨
つゆ
季節: 夏(仲夏) 分類: 時候(暦) -
平井照敏編 新歳時記 夏p.40
- たにのゆの いしだんせまし ゆてんそう
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時鳥草
ほととぎすそう
季節: 秋(仲秋) 分類: 植物(ユリ目) -
平井照敏編 新歳時記 秋p.281