優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

昭和から平成にかけて活躍した俳人。飯田龍太に師事し、甲斐の山々への讃仰と師への敬愛に満ちた作風で知られた。

生涯

三森鉄治(みつもり てつじ)は昭和34年(1959年)、山梨県に生まれた。昭和50年(1975年)、「暖流」同人の武井久雄と日川高校で教鞭を執っていた廣瀬直人の影響により俳句を始めた。職業は学校で教鞭をとり、最後は平成23年(2011年)に甲州市勝沼中学校に勤務し、翌年退職した。

平成26年(2014年)、55歳にして末期の癌であることが判明した。しかし一度も諦めることなく、「大丈夫。死なないから」と頑張り続け、最期まで「もうだめだ」と言うことも涙を見せることもなかった。「俳句が作れるくらい元気になりたい」と亡くなる前の2週間の入院中も常に言い、早くよくなって俳句を作ることを目標に病気を治そうと頑張っていた。入院中も第6句集を編集したくてパソコンを持ってくるように言ったが、最後まで編集できずに旅立った。平成27年(2015年)10月に死去した。享年56。甲斐の山々に抱かれて眠っている。

俳句歴

三森鉄治は昭和57年(1982年)に第1詩集『虚構の街』を刊行し、昭和60年(1985年)に第1句集『幻象論』を刊行した。以後、遺句集『山稜』まで全6巻の句集を刊行した。平成25年(2013年)、「郭公」(井上康明主宨)創刊とともに同人参加し、平成26年(2014年)には「新現代俳句最前線」に参加した。

師である飯田龍太を思う句はところどころにあり、その師への思慕の深さを思わせる。また闘病をしていたはずであるが、自身の病気や生活を詠んだ句は極めて少なく、ほんのすこしそれとわかる句が自然詠のなかにおかれているだけである。

遺句集『山稜』は平成30年(2018年)9月に刊行された。妹の赤星美佐の依頼を受けて、句友の舘野豊がパソコン等に残された句稿を丹念に集めて第6句集とし、そこに補遺も加えて収録したものである。平成23年(2011年)から平成27年(2015年)年までを第6句集とし、そのほか資料となるべき残された句を加え補遺とした。全句を季語別に収録し初句索引を付した資料性の高いものとなっている。

その他の特記事項

三森鉄治は俳壇的な栄誉や権威を求めることなく、常に真摯に俳句に向き合ってきた。一度句座をともにすれば、人間的な魅力に誰もが惹きつけられた。その早すぎる死は、仲間にとって大きな痛手であるだけでなく、俳句の世界にとっても埋められない損失だったとされる。

三森は呼びかけで始まった小さな句会を主催し、吟行をして出句数は無制限という原則を堅持しながら、おおむね隔月開催で亡くなる数ヶ月前まで、ほぼ毎回出席し、すべての回の記録を残した。

角川書店の新しい歳時記には三森の句がずいぶん載っており、俳人の大西朋は「三森鉄治さんの作品が好きでその鑑賞を書いたこともあるので、すごく嬉しかった」と語っている。

claude sonnet 4.5 による自動生成文を管理人が修正しました。

参考にさせていただいたWebサイト様
遺句集にして全句収録。 -- ふらんす堂編集日記 三森鉄治句集『山稜』 -- ふらんす堂オンラインショップ 《句集》三森鉄治「またの世も師を追ふ秋の螢かな」『山稜』 -- 俳句誌・俳書 ちょい読みブログ

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
生没1959 〜 2015
出身地山梨県

現在、9句の俳句が登録されています。