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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代前期の俳人。京都の富商として家業に励みながら、貞門派から談林派へと転じ、松尾芭蕉らと交流して京都俳壇を代表する存在となった。

生涯

伊藤信徳(いとう しんとく)は1633年(寛永10年)に京都の裕福な商家に生まれた。通称は助左衛門、別号に梨柿園(りしえん)や竹犬子などがある。姓は山田とも伝えられている。幼年期より家業のため全国を行脚することが頻繁にあり、商売のために京都と江戸の間を往来する生活を送った。

1645年(正保元年)頃、13歳の時に貞門派の高瀬梅盛の門人となり俳諧を学び始めた。その後、菅野谷高政や田中常矩らに師事し、談林派に転じた。江戸では松尾芭蕉や山口素堂といった著名な俳人たちと親交を結び、幅広い俳諧活動を展開した。1698年(元禄11年)10月13日に66歳で死去した。

俳句歴

信徳は貞門、談林、蕉風という三つの時代にわたって活躍した俳人である。貞門派の高瀬梅盛に師事して俳諧の基礎を学んだ後、延宝期(1673年から1681年)に入る頃から談林風に転じた。1673年に『信徳十百韻』を成立させ、1675年に上梓して新風を世に問うた。

1677年(延宝5年)には江戸において芭蕉、素堂との300韻を興行し、翌1678年(延宝6年)に『江戸三吟』として共著を刊行した。この時期、信徳は芭蕉の作風を踏まえた俳諧を学んだが、のちに芭蕉から離れた。1681年には『七百五十韻』を刊行するなど、多くの著作を世に送り出した。元禄期には池西言水や同じ梅盛門下の斎藤如泉、三上和及、中尾我黒らと共に京都における代表的な俳諧師となり、談林調から蕉風への一翼を担う存在として京都俳壇を代表した。

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参考にさせていただいたWebサイト様
富士に傍て三月七日八日かな(伊藤信徳)-- 古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも) 伊藤信徳 -- Wikipedia 伊藤信徳(イトウシントク)とは 意味や使い方 -- コトバンク

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別号梨柿園 竹犬子
通称助左衛門
生没1633 〜 1698
出身地京都

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