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俳人の説明

管理人による説明

江戸時代中期の俳人。松尾芭蕉に師事し、『奥の細道』の旅に随行した蕉門の弟子。『曾良旅日記』を残し、後年は幕府の巡見使として九州を視察した。

生涯と俳句歴

河合曾良は、慶安2年(1649年)、信濃国高島城下の下桑原村(現長野県諏訪市)に高野七兵衛の長男として生まれた。本名は岩波庄右衛門正字(まさたか)という。幼名は与左衛門である。両親が亡くなったため伯母の養子となり、岩波庄右衛門正字と名乗った。12歳の時に養父母が亡くなり、伊勢国長島の住職・深泉良成の元に引き取られた。

寛文8年(1668年)頃より長島藩主松平康尚に仕え、河合惣五郎を名乗った。延宝4年(1676年)にはすでに俳諧を嗜んでいた。天和元年(1681年)頃に致仕して江戸に下り、吉川惟足に吉川神道を学んだ。貞享年間に松尾芭蕉に入門し、江戸蕉門古参の一人となった。芭蕉より5歳年少で、「深川の八貧」といって芭蕉庵に頻繁に出入りしていた芭蕉の最も信頼した弟子の一人である。

貞享4年(1687年)の『鹿島紀行』に随行し、元禄2年(1689年)、41歳の時に『奥の細道』の旅に随行した。この旅で『曾良旅日記』(天理大学附属天理図書館所蔵、重要文化財)を残したことで、『奥の細道』の旅の実際が明らかになった功績は大きい。曾良が『奥の細道』随行者となったのは、越後の村上にある旧主の墓参をしたいという都合があったことに加え、地誌や神道に詳しい教養人であったことが大きかったとされる。

温厚篤実な人物で、芭蕉によく尽くした。神道家としての学識も深かった。一方で蕉門の俳人としては才能に恵まれず、現存する発句は130句程度で観念的な詠みぶりが目立つ。

宝永6年(1709年)、61歳の時に徳川幕府派遣の巡見使随員に任ぜられ、九州各地を監察して回った。翌宝永7年(1710年)、壱岐国可須村風本(現長崎県壱岐市勝本浦)で巡見の途上に病没した。享年62。戒名は賢翁宗臣居士。墓所は壱岐島の能満寺である。元文5年(1740年)、没後30年を経て故郷・諏訪の正願寺にも墓標が建てられた。

平成6年(1994年)5月24日に旧勝本町と諏訪市が河合曾良の終焉の地と生誕の地としての縁で友好都市提携を結び、旧勝本町が合併後も壱岐市に受け継がれた。現在も壱岐市では河合曾良墓守世話人会が墓を守り、毎年5月22日の命日には壱岐市内の文芸団体が集まり曾良にちなんだ句を捧げる活動が続けられている。

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参考にさせていただいたWebサイト様
河合曾良 -- Wikipedia 芭蕉のミステリアスな弟子。終焉の地・壱岐島で愛され続ける河合曽良【長崎県壱岐市】 -- ローカリティ! 曾良 -- 山梨県立大学

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
別姓高野・岩波
別名惣五郎
幼名与左衛門
生没1649 〜 1710

現在、12句の俳句が登録されています。

    • 祭 まつり
      季節: 夏(三夏) 分類: 宗教(神道)
    • 平凡社 俳句歳時記 夏
      p.347
    • 祇園祭 ぎおんまつり
      季節: 夏(晩夏) 分類: 宗教(神道)
    • 虚子編 新歳時記 増訂版
      p.435