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白井一之 (しらい いっし)

俳人の説明

管理人による説明

小林一茶の門人。『おらが春』の刊行者として知られる俳人。

生涯と俳句歴

白井一之は信州中野の有明庵に住した小林一茶の門人である。生没年などの詳細は不明である。

一之は、嘉永5年(1852年)、一茶の没後25年になる年に、一茶の俳諧俳文集『おらが春』を自家本として刊行した。『おらが春』は、一茶が北信濃の柏原(長野県上水内郡信濃町柏原)で過ごした文政2年(1819年)、一茶57歳の一年間の折々の出来事に寄せて詠んだ俳句・俳文を収めたものである。一茶自身が改訂や推敲を重ねたが未刊のままに留まっていたものを、一之が刊行したものである。

表題の「おらが春」は、一茶自身が選んだものではなく、一之が本文の第一話の中に出てくる句「目出度さもちう位也おらが春」から採ってつけたものである。当初は一之の自費出版であったが、安政元年(1854年)に江戸須原屋から『一茶翁俳諧文集』の書名で再版され、明治11年(1878年)版など、多数の後刷本がある。

一之は逸淵から序を貰い、その弟子の西馬に跋を書いてもらった。この二人が序と跋を書いたことが、『おらが春』の価値を高めたと考えられる。安政時代になると、一之は『おらが春』を江戸の須原屋から『一茶翁俳諧文集』という名で再刊した。

明治11年、白井一之(有明庵)は郷土の人々とともに三たび『おらが春』を刊行した。特筆すべきは、この本が東京の好文堂からも同時に刊行されていることで、そのため『おらが春』を知る人はかなり増えたと考えられる。

一之による『おらが春』の刊行は、一茶の評価を高める上で重要な役割を果たした。江戸時代の嘉永元年(1848年)に墨芳・一具編『俳諧一茶発句集』が刊行されて一茶の人気が高まり始めていたが、嘉永5年に一之が刊行した『おらが春』の文章(俳文)が一茶の人となりを人々に伝え、一茶の人気はさらに高まった。

その他の特記事項

白井一之については、生没年や詳細な経歴など、多くのことが不明である。しかし、一茶の代表作として知られる『おらが春』を世に出し、その普及に尽力したことで、一茶研究史上重要な位置を占める人物である。

一之の刊行した『おらが春』には、一茶のよく知られた代表的な句、「目出度さもちう位也おらが春」「我と来て遊べや親のない雀」「名月を取ってくれろとなく子哉」「這へ笑へ二ツになるぞけさからは」「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」「ゆうぜんとして山を見る蛙哉」「ともかくもあなた任せのとしのくれ」などが収められている。

一之の尽力により、『おらが春』は幕末から明治にかけて広く読まれ、一茶が江戸を代表する俳家として認知される契機となった。

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参考にさせていただいたWebサイト様
おらが春 -- Wikipedia 一茶受容史 -- asahi-net 13/6/28一茶没後と門人たち ~- 一茶の評価

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性別男性

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