優れた俳句をデジタルデータとして保存し、後世に残すために俳句データベースを開発しています。

俳人の説明

管理人による説明

前衛俳句から出発し詩・評論・江戸俳諧研究など多方面で活躍した東京生まれの詩人・俳人

生涯

加藤郁乎(かとう・いくや)は、1929年(昭和4年)1月3日に東京府で生まれた詩人・俳人・俳諧評論家である。父の加藤紫舟(本名・中庸)は早稲田大学教授で、長谷川零余子に師事した俳人であった。1951年に早稲田大学文学部演劇科を卒業し、日本テレビに勤めたほか、商事会社も経営した。1972年、43歳で筆一本を生業とする文筆家として独立した。

澁澤龍彦、松山俊太郎、池田満寿夫など、異端的な文学者たちとの交友でも知られる。澁澤が雑誌『血と薔薇』の編集長を務めていた時期には、同誌の販売を後押しするため、澁澤をテレビ番組『11PM』に出演させたこともあった。こうした交遊を振り返った回想記に『後方見聞録』がある。2012年5月16日、心不全のため83歳で死去した。

俳句歴

俳句は父から教えを受ける一方で、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表した。1950年に父が没すると『黎明』の主宰を継いだ。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌に参加し、西欧の詩に学んだ詩的実験を定型俳句のなかで展開して、俳壇の内外で評判を得た。

1959年の第1句集『球体感覚』をはじめ、『えくとぷらすま』『形而情学』など多くの句集を刊行し、『形而情学』は第6回室生犀星詩人賞を受けた。後年の句作は江戸趣味・俳諧趣味へと傾いていった。2001年には『加藤郁乎俳句集成』により二十一世紀えひめ俳句賞富澤赤黄男賞を、2011年には句集『晩節』により第11回山本健吉文学賞俳句部門を受賞した。

詩の分野では吉田一穂と西脇順三郎に師事し、詩集『終末領』『閑雲野鶴抄』『加藤郁乎詩集成』などを残した。

その他の特記事項

江戸俳諧の研究にも力を注ぎ、『江戸の風流人』正・続、『江戸俳諧歳時記』、編著『近世滑稽俳句大全』などの考証・評論を著した。2005年には『市井風流 俳林随筆』により第5回山本健吉文学賞評論部門を受賞している。小説『エトセトラ』なども発表した。1998年には自身が単独で選考する加藤郁乎賞を創設し、後進の育成にも力を注いだ。

claude sonnet 5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
加藤郁乎 -- Wikipedia 加藤郁乎 -- みすず書房

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
生没1929 〜 2012
出身地東京都
出身地(旧地名)東京府

現在、2句の俳句が登録されています。