神蔵器
俳人の説明
管理人による説明
生涯
1927年(昭和2年)2月22日、東京府南多摩郡鶴川村(現・東京都町田市能ヶ谷)に生まれる。本名は政彰。明治大学文芸科を中退した。農家の生まれで、養父のあとを継いで錺(かざり)職人として働いていた。
若い頃、鶴川に疎開してきていた俳人・石川桂郎の噂を友人から聞き、興味本位で二人で桂郎の家を訪ねた。桂郎の家は三畳と六畳のみの質素な住まいで、掘り炬燵に招かれたものの炭が入っておらず、夫人が持ってきた炭が燃え尽きたあとも追加されないまま話に聞き入った。帰り道、それが「なけなしの炭」だったのではと思い至った神蔵は、お礼にと自宅の炭俵を担いで再び桂郎を訪ねた。その際、桂郎に勧められて見せた句「春泥や足跡ごとの水たまり」を、桂郎が「春泥や足跡ごとの水あかり」と添削したことに強く感銘を受け、これがきっかけで1947年、桂郎に師事して句作を始めた。
2017年7月26日、慢性呼吸不全のため90年の生涯を閉じた。1927年から約30年間、生まれ育った能ヶ谷に居住し、その後は東京都杉並区に居を移しつつ、実家のある能ヶ谷を中心に活動を続けた。
俳句歴
1961年、仕事仲間と「竹頭俳句会」を結成し、翌1962年より石川桂郎主宰の「風土」に参加した。1975年、第一句集『二代の甕』(牧羊社)を上梓した。同年、桂郎の没後は「風土集」選者となり、1979年、「風土」の主宰に就任した。主宰就任を機に、それまで続けていた錺職人の仕事を廃業した。以後、2016年6月号まで長きにわたり主宰を務めた。
句集『能ヶ谷』(1984年、角川書店)は、生まれ育った地名を冠した第三句集で、あとがきには「能ヶ谷は、私が生れ育った村であり、また師石川桂郎が戦後疎開し愛した地である」と記されている。ほかに句集『心後』(1994年、角川書店)などがある。2001年刊行の第七句集『貴椿』(朝日新聞社)により第41回俳人協会賞を受賞し、2012年刊行の第十句集『氷輪』(角川書店)により第10回俳句四季大賞を受賞した(俳人協会賞の受賞年について、2001年とする資料と2002年とする資料がある)。俳人協会名誉会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員を務めた。
目に触れたものをさらりと詠み、物に即して人の心を表出する句風で知られ、作家の永井龍男は「神蔵さんの即事風な句の美しさは、この頃ちょっと比類がない」と評した。
その他の特記事項
2019年5月14日から7月7日にかけて、町田市民文学館ことばらんどにて「お宝展示第7弾 神蔵器展」が開催された。
claude sonnet 5 による自動生成です。
参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- すずりあらう てのひらほどの ひとつえて
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硯洗
すずりあらい
季節: 秋(初秋) 分類: 人事(行事) -
新版 角川俳句大歳時記 秋p.174