小熊一人 (おぐま かずんど)
俳人の説明
管理人による説明
生涯
1928年(昭和3年)5月、千葉県我孫子駅前の屋号「本郷屋」の長男として生まれる。本郷屋は我孫子宿本陣・小熊郷右衛門の出自で、「本陣」の「本」と「郷右衛門」の「郷」を取って名付けられた屋号であり、生家はうなぎ食堂を営んでいた。1945年(昭和20年)、東葛飾中学(現・東葛飾高校)を卒業し、中央気象台(気象庁)に就職した。1954年(昭和29年)、東京電気大学工学部を卒業した。
1975年(昭和50年)、沖縄気象台に転勤し、3年間勤務した。我孫子とは異なる沖縄の自然、風土、文化に強く惹かれ、沖縄の俳壇に自ら経験した吟行の楽しさを説いた。1977年(昭和52年)、沖縄在勤中の作品50句をまとめた句集『海漂林』により、第23回角川俳句賞を受賞した。帰国後も琉球新報社「琉球俳壇」の選者を長年にわたり務め、沖縄と本土を結ぶ架け橋として情熱を注いだ。
1988年(昭和63年)2月、琉球俳壇賞受賞式に出席するため沖縄を訪れていた際に体調不良を訴え、59歳で死去した。沖縄の俳人有志は、一人の沖縄俳句界への貢献を顕彰し、名護城の登り口にある幸地川親水公園の一角に、我孫子の方角に向けて句碑を建立した。
俳句歴
気象官として勤務する傍ら、我孫子の同人誌「湖畔吟」で、楚人冠没後に選者・指導を務めていた深川正一郎から俳句の手ほどきを受けた。当初は俳号を「沼子」と称した。「ホトトギス」「馬酔木」にも投句し、複数の俳句結社を遍歴した後、俳号を「沼子」から本名の「一人」に改め、「浜」に入会して大野林火の指導を受けた。
1979年(昭和54年)10月、沖縄独特の季語を取り入れた初の歳時記として『沖縄俳句歳時記』を琉球新報社より刊行した。同書は1985年(昭和60年)に版元を那覇出版社に移して再版された。ほかに著書『季語深耕』、句集『珊瑚礁』がある。
その他の特記事項
沖縄勤務はわずか3年間であったが、その間に地元の俳句仲間と親交を深め、帰国後も琉球俳壇の選者を長年務めた。俳人の木割大雄は、小熊一人が千葉出身でありながら沖縄の風土、文化、歴史を淡々と語りかけていたことを、著書『沖縄俳句歳時記』を通じて振り返っている。
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参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
バイオ
現在、1句の俳句が登録されています。
- とらのおに みずやりひとひ そとにでず
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虎尾草
とらのお
季節: 夏(仲夏) 分類: 植物(ツツジ目) -
平井照敏編 新歳時記 夏p.497