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俳人の説明

管理人による説明

大正から平成にかけて活躍した俳人。福島県相馬の出身で、「駒草」においてみどり女に師事した。

生涯

1917年(大正6年)、福島県相馬に生まれる。終戦直後のある年の冬至の日、見様見真似で互選の仲間に加わった句会で、みどり女の句〈枯芦の曇れば水の眠りけり〉に出会い、「駒草」に入門した。東北大学で開かれた俳句講座を受講し、みどり女が一力五郎の句を褒めるのを聞いて衝撃を受けたという。相馬の名士として知られ、地元の松川浦にある鵜ノ尾岬には、みどり女と柯舟の師弟句碑が建てられている(東日本大震災の津波で倒壊したものを、再び建て直したもの)。2011年(平成23年)、東日本大震災の年に死去した。

俳句歴

「駒草」において、句集『瞳孔』(昭和37年)、『海霧』(平成元年)を刊行したほか、随筆集『宇多』(平成元年)を著した。また「駒草」の歩みを伝える語り部としての役割も担い、『駒草のあゆみ』(昭和37年)を著した。第3回駒草賞を受賞している。二代主宰・八木澤高原の逝去に伴い、三代主宰・蓬田紀枝子への引き継ぎの期間、数か月にわたり「駒草」誌上の雑詠欄の代選を務めた。

作風は難解とされることがあり、「駒草」内では「難解句の柯舟」という異名で呼ばれた。師のみどり女は「柯舟さんが句をはじめた当時は非常に不器用で、とてもものになるとは思いませんでしたよ」と語ったと伝えられている(鴇田日出夫「只野柯舟小論」「駒草」昭和38年5月号)。柯舟自身は座談会において自らの作風を「すっぽん俳句」と称し、対象に食いついて離れない姿勢を大切にしていたと述べている(座談会「五郎賞作家を巡って」「駒草」昭和39年6月号)。

その他の特記事項

俳人の鬼房は、柯舟が病床の同人・真島楓葉子の句を批評家の酷評から弁護した逸話について、「これは明らかに只野の負けだと思った。しかしその反面、このおときはじめて只野というやつはいい男だなとしみじみ感じ入った」と評している(「柯舟素描」「駒草」昭和37年10月号)。

claude sonnet 5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
冬蟹に尿ればどつと裏返る 只野柯舟 -- セクト・ポクリット

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

生没1917 〜 2011

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