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俳人の説明

管理人による説明

明治から昭和にかけて活躍した京都祇園の芸妓・茶屋の女将。俳句・短歌・日本画を嗜み、文芸芸妓と呼ばれた。

生涯

磯田多佳は1879年に祇園に生まれた。姉は祇園一力亭の女将おさだである。6歳で井上八千代に入門して芸を磨き、10代で芸妓となった。23歳で母の家業を継ぎ、京都市東山区祇園新橋に営業していたお茶屋「大友」の女将となった。

夏目漱石をはじめ谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者と交流し、「文学芸妓」「文芸芸妓」と呼ばれるようになった。当時白川の両岸には数軒のお茶屋が立ち並び、その中に「大友」が含まれていた。

夏目漱石は生涯四度にわたって京都を訪れているが、大正4年3月、49歳の漱石が京都を訪れた際、祇園の茶屋「大友」の女将磯田多佳女を夕食の席に呼び、初対面からうちとけて話がはずんだ。

戦局が悪化すると多くのお茶屋が廃業を余儀なくされた。空襲に伴う災害を防ぐため強制疎開が行われ、多佳が守っていたお茶屋も撤去され、彼女は悲しみにくれた。

1945年5月15日、その生涯を閉じた。後に「大友」の跡地には吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」と書かれた歌碑が建てられた。

その他の特記事項

俳句、短歌、日本画なども嗜んでいた。谷崎潤一郎が初めて多佳女と会ったのは明治45年のことであった。谷崎潤一郎は「磯田多佳女のこと」という随想を残している。

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参考にさせていただいたWebサイト様
磯田多佳 -- Wikipedia 夏目漱石と祇園の磯田多佳女との交流がドラマになっていた -- 阪急・阪神沿線文学散歩 谷崎潤一郎の京都逍遥 -4- 磯田多佳 -- 東京紅團

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別女性
本名たか
生没1879 〜 1945

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