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井上白文地 (いのうえ はくぶんじ)

俳人の説明

管理人による説明

昭和期の俳人。「京大俳句」を創刊し、時事的な句や評論を執筆。反戦的と思われる句のため京大俳句事件で検挙されたが不起訴。戦後、ソ連軍捕虜となり消息を絶つ。

生涯

井上白文地(いのうえはくぶんじ)は、出生名を岸本久七といい、敦賀に生まれた。1906年、報恩寺住職の養子となり、井上隆證(りょうしょう)と改称した。

法華寺学林、第三高等学校を経て、1928年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。その後関西大学、立命館大学などで講師として教鞭を取る。

俳句は高校時代にはじめ、「京鹿子」「ホトトギス」「馬酔木」に投句。京大三高俳句会を復興し「京大俳句」を平畑静塔らと創刊。時事的な句や評論を執筆した。

1940年2月、京大俳句事件の第一次検挙に連座したが、不起訴。しかしこの事件により、内定していた関西大学教授のポストが反故になった。

1945年応召、朝鮮でソ連軍捕虜となり、1946年5月25日、延吉市の収容所から他地域へ送られて以降消息を絶つ。

1981年、永田書房より『井上白文地遺集』刊。1982年、遺体が見つからないまま、戦時死亡宣告が確定した。2005年、ゆかりの寺である姫路市飾磨区の法華宗妙諦寺にて代表句「我(わが)講義軍靴の音にたゝかれたり」句碑が建てられている。

俳句歴

当時の句に、反戦的と思われる「往く人の母は埋れぬ日の丸に」(1937年)、「我講義軍靴の音にたゝかれたり」(1937年)等がある。

claude sonnet 4.5 による自動生成です。

参考にさせていただいたWebサイト様
井上白文地 -- Wikipedia 新興俳句弾圧事件 -- Wikipedia 井上白文地 -- コトバンク

参考にさせていただいたWebサイトの制作者様、誠にありがとうございます。貴サイトの貴重な情報により本データベースの充実を図ることができました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

バイオ

性別男性
本名隆證(りょうしょう)
生没1904 〜 1946

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